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お釈迦様はインドの王子様
お母さんの右脇から生まれはって
生まれてすぐに7歩歩いてなにやらゆわはったって。
「天上天下唯我独尊」
尊いことされて
80才と長生きし、
入滅後だいぶだいぶだいぶ後、
1898年に当時インドを支配していたイギリス人がお釈迦様の遺骨を見つけはった。
地面掘ったら(お釈迦様のほね)
って書いた入れもんが出てきたって。
ほんでそれをイギリスの大映博物館に置こうとしたら
仏教国タイのお坊さんたちがもう反発しはって、
ほな、タイに渡すわ。。ってなって。
タイと親交のあった名古屋の日泰寺の人に
「お宅も仏教国やから分けたげるわ」って
分骨の形でもらわはったんやて。
お釈迦様の骨の事を仏舎利という。
日本にこのお釈迦様の仏舎利があるのは
名古屋の日泰寺だけ。
そんな大それたお寺やのに
そこまで有名でないのはなぜ?
大きくもっと自慢しはったらええのに・・・。
そのことは外務省も認めているという。
前に奈良の法隆寺に行ったときに5重の塔の中に仏舎利があるって説明受けたことあったけどほなあれは?とみてみたら、あれはお釈迦様ちゃうという見解の人が多い。聖徳太子のお骨ちゃうか?とも言われている。
仏舎利とは仏教に貢献したえらい人の御骨を収めている所と書いてあるのもある。
生まれ変わったえらい人とか、宗の開祖とか。
1898年、イギリス人のウィリアム・ペッペという人がネパール国境に近いインド北部で人骨の納められた古い壷を発見しました。その壷に刻まれていた古代文字を解読したところその人骨は仏舎利であることが判明し、当時インドを治めていたイギリス政府は仏教国であるタイ王国(当時のシャム)のチュラーロンコーン国王陛下に寄贈しました。そこからビルマ(現ミャンマー)やセイロン(現スリランカ)、日本といった国々に分与されました。建立地は仏教各宗派の代表と協議の結果名古屋市となり、山号は釈迦を意味する「覚りの王」の覚王山となりました(所在地は現在の愛知県名古屋市千種区法王町1-1)。当初の名前は日暹寺でしたが、1932年にシャムからタイに国名が変更されたのをうけて、1941年に日泰寺と改称されました。
こちらはWIKI情報
1898年にインド・ルンビニ近郊のピプラーワーでイギリスの駐在官ペッペが古墳を発掘、その際に発見した壺に刻まれていた紀元以前の文字を解読したところ、釈迦およびその一族の遺骨であると書かれていた。ペッペは英国王室にこの仏舎利を献上、そして英国からシャム国(現在のタイ王国)に譲渡された。その一部はシャム国王ラーマ5世から日本国民へ贈られ、それを納めるために創建されたのが覚王山日暹寺(現在の覚王山日泰寺)である
コメント
>そんな大それたお寺やのに
> そこまで有名でないのはなぜ?
> 大きくもっと自慢しはったらええのに・・・。
-その理由は?--三択問題---
壱/尾張人は排他的で秘密好き?
(ヨソ者を警戒して教えない?)
弐/尾張人は昔から奥ゆかしい?
(謙虚な性格で自慢を好まない?)
参/尾張人は歴史オンチである?
(日泰寺と釈迦さんの関係を知らない?)
住兵衛さん、コメントいただけてうれしいです!
気づくのが遅くなりごめんなさい。
とてもためになりました。なるほど。
名古屋の人はつつましやかで秘密好きで歴史音痴
ちょっと笑えました。
その点、京都人はおごってるなぁと思います。
きっと商売にしはるね。
この通り私も歴史音痴なんで住兵衛さんのサイトで勉強したいと思います。
リンクさせていただきました
今後ともよろしくお願いします♪
リンクまで頂きありがとうございました。
住兵衛からもリンクさせて頂きましたので、
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