小野篁(おののたかむら)
小野妹子の子孫で平安貴族で昼は朝廷にいはって、夜になると井戸を伝ってあの世とこの世を行き来して閻魔様の助手をしていたそうです。
寝不足になるね。
かなりイケメンで身長180㎝あったと今昔物語に書いてあるって。
最初【千本閻魔堂】でこれを聞いたとき、大真面目にお寺さんが説明したはってちょっと笑ってしまったんですが、どうやら架空の人物ではないと思ったのが
京都のあちこちで小野篁伝説があり、いわれの品や井戸があるということ。
まず、ほんまにイケメンなのか画像検索してみたら
ん~~~写真じゃないのでわかりにくい。
平安人の間でもかなり浮いた存在で奇人と呼ばれ
安倍晴明も裸足で逃げ出すくらい
不思議なエピソードの多い人ってネットに書いてありました。
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小野篁さんを意識してから私がまず向かったのは
東山のふもと六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。
入り口右サイドを覗いて~っていうから 覗いたらびっくりしたよ
いきなり 小野篁さんと閻魔像。
しかもお化け屋敷みたいな仕掛けがあるのです。どき~~っするよ!
なのでイケメンかどうか驚きすぎて確認できず。
このお寺の井戸から夜な夜なあの世へ出かけたんやって。
井戸があるのはお寺の奥の・・えっまた覗きからくり?
ここをのぞかないと見えないというミステリーぽさを演出されています。
同行のさかえちゃんがまず覗く
あった!井戸!ちょっと遠いなぁ・・
ズームで撮ってみたら
直径そんなにない・・狭いなぁ。
頭から突っ込んで行かはったのか?足からかな?
体をかなりコンパクトにしてデューク更家ポーズの手をしながら
しゅっ~息を吐かな穴抜けられへんね。
ほんでね、この井戸は一方通行なんです。
じゃぁたかむらさんはどやってこの世へ戻ってきたかというと、
ず~と西の嵯峨【清凉寺】付近に井戸があってそこから出てきはった。
お帰り~どこに住んではったか知らんけど
毎日通っていたとのことで東から西へご苦労様です。
正確には福生寺という清凉寺の横にあったお寺の井戸から出てきはったんやけど
明治に廃寺となって井戸も埋められてしもて、
今は清凉寺敷地内に石碑だけ残っています。
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【六道珍皇寺】は
京都のミステリースポット 六道の辻にあって
祇園の南側、清水寺も近い場所で
このエリア自体がが冥土の入り口と言われていて
お盆になったらお参りの行列となり賑わいます。
このそばにハッピー六原という商店街があるんですが、
名前だけでもハッピーな名前にしようと思ったんですねきっと。
昔この先にある鳥辺山に死んだ人を運ぶ葬送の通り道だったので
こんな名前が付いたのだけど、
今でいうたらこんな一等地に住めるのはセレブ、私も住みたいええ場所です。
おどろおどろし街かといえば暗い雰囲気はなく
気が良く気持ちがいいのです。
祇園みたいに混雑してないので散歩にも最高。
セットで行きたいのは【六波羅蜜寺】
口からミニ仏さまを出したはる空也上人さまは
かなりシュールだけど幽霊ではありません。
嵯峨天皇のご子息なのに、庶民に向けて
南無阿弥陀仏と唱えれば皆ハッピーということを広めたえらい人。
この像を作った人が仏師の巨匠【運慶】の四男 康勝さんです。
六波羅蜜寺のはす向かいの【みなとや】という飴屋さん
【幽霊飴】これ、ものすごくおいしいよ。
あと引き過ぎて東京に戻ってから取り寄せたくらい。
実は新宿の伊勢丹にも売ってる事実を知りました。割高やけど。
日本昔話で見たことがある幽霊飴の実際はもっと深い意味がありそう。
ハッピー六原のスーパー向かいの安くて大きなたこ焼き
を買って建仁寺敷地で食べたり
静かな一軒家のカフェ【紅ゆき】で休憩
あっそや 縁切り神社【安井金毘羅宮】もこの辺り
他にもおいしくて安い和食屋さんとか洋食コリスなど
建仁寺を抜けると花見小路で急に人が多くなります。
正直私は祇園や二年坂、産年坂より隣の六道の辻界隈のほうが楽しいです。
ただ夜は人通りもなく ちょっと怖いです。